19世紀前半のピアニストおよび作曲家

1. 「オランダ民謡による変奏曲」Op.21 ヨハン・ネーポムク・フンメル作曲

堂々とした晴々しい曲想の歌は、当時のオランダでは、だれもが歌ったり口笛で吹いたりしていた。主題と8つの変奏からできていて、第8変奏では右手でトリルとメロディーを弾くという技巧もみられ、まさにピアノの時代の到来を告げているかのようだ。1766年に9歳のモーツァルトも同じ主題で「ヴィレム・ファン・ナッソウ」による7つの変奏曲K.25 を作曲している。

2. 「ヘンデルの主題による」変奏曲 Op.29  イグナッツ・モシェレス作曲

通称「調子のよい鍛冶屋」と呼ばれている主題を元に、1814年に作曲された主題と7つの変奏からなる変奏曲。原曲はホ長調で、アマチュアピアニストが弾くことを考慮してヘ長調で作られてる。ヘンデルはチェンバロの為に、モシェレスはピアノの為に同じ主題で変奏曲を書いているが、その書法の違いは時代の違いを反映していて興味深いものがある。

3. 「ベニスのゴンドラの歌による変奏曲」Op.82-2 フェルディナント リース作曲

カヴァリエレ・ペルキーニのカンツォーネ「小さいゴンドラの上のブロンド娘」の旋律を基に作られた。当時非常に人気のあった幸福感に満ちた旋律はベルキーニのスタイルをよく表している。主題と8つの変奏からなっていて、それぞれの変奏はよく考えられた構成の基に配置されている。2つの短調の変奏は全体の変奏のバランスをよくとって引き締めている。

4. 「チロル民謡による変奏曲」Op.13 アンリー・ヘルツ作曲

作曲当時よく知られていたチロル民謡をもとに、サロン音楽としてアマチュアピアニストのために作曲された。3拍子のワルツをもとに洗練されたスタイルで書かれている。またメトロノームによるテンポや、ペダル記号のの指示も適切で理解しやすい楽譜印刷にも心がけて、19世紀前半の音楽需要をよく反映している。

5. 「メユールの主題による変奏曲」Op.28 カルル・マリア・フォン・ヴェーバー作曲

ヴェーバーにも影響を与えたフランスの作曲家エチエンヌ=ニコラス・メユール (1763-1817) の代表作「ヨセフ」のロマンツェを主題とした変奏曲で、主題と7つの変奏からなる。主題は「おじいさんの古時計」のメロディーに似ていて親しみがある。それぞれの変奏において、ピアノの音色は多彩で、第7変奏のヴィルテオーゾぶりは目を見張るものがある。

6. 「ルール ブリタニア」 モシェレス、クラマー、フンメル、カルクブレンナー合作
 
 英国民賛美歌「ルール、ブリタニア」(1740年以後知られている)をテーマとした合作変奏曲。 このような合作作品は、19世紀初頭のロマン派作品にしばしば見受けられるものだ。芸術的なものとコンサート的なものとの結合で、其々のピアニストの演奏テクニックや作曲技法の特徴が楽しめるものとなっている。 第一変奏のモシェレスの気だてのやさしい衒学、第2変奏のクラマーの想像力豊かな気質、第3変奏のフンメルの響き渡る歌うようなパッセージ、そして第4変奏のカルクブレンナーの決して誰も真似のできない、きらめく名技が見事に共存している。


ヨハン・バブティスト・クラマー
イギリスのクレメンティの弟子であったB.クラマー(1771-1858)、古典派時代の最も重要な巨匠の1人。彼のピアノのための広大な研究成果であり、技術的な基礎の養成において、またベートーベンによっても賞賛された、「グレート・ピアノ・スクール」の84練習曲(今日では、クラマー=ビューローの60の練習曲として)は、ピアノ教則本として今日でも学習されている。

ヨハン・ネーポムク・フンメル
モーツァルトの弟子であったフンメル(1778-1837)は、師のスタイルを継承、発展することに努力した音楽家。1788年から1793年 までコンサートピアニストとしてヨーロッパおよびウィーを周遊後、ハイドンの紹介でエステルハージー家に7年間カペルマイスターとして勤めた。1819年から、ワイマールでカペルマイスターとして活躍した。彼のピアノスタイルは旋律を歌うことの見事さに特徴があった。

フィルデナント・リース
フェルディナント・リース(1784-1838)は、今日ではピアニストあるいは作曲家というよりも、ベートーベンの伝記を書いた人として有名。彼はベートーベンにウィーンで1801年から1805年まで、ピアノと作曲を学ぶ。 彼はピアノの巨匠として広くヨーロッパを演奏旅行をしました。彼のピアノ作品はベートーベンの構築的な作曲方法と、分かりやすく楽しいスタイルとを併せ持ったものでした。

フリードリッヒ・カルクブレンナー
カルクブレンナー(1788-1849)は、18歳にしてすでにパリで、ピアノの巨匠あるいはピアノ教師として有名。 1831年に彼に弟子入りしようとしたショパンは、カルクブレンナーと彼のライバルを比較して「すべてのピアニストを圧倒する巨人」と評している。彼の作品は非常にピアニステックなもので、当時本人自身しか演奏できないのではないかと言われていた。

イグナッツ・モシェレス
モシェレス(1794-1870)はプラハで生まれ、短期間ではあるがベルリンでクレメンティに師事した。巨匠的演奏家として当時極めて大きな影響力を持っていた。また多くの広い範囲の音楽家と交友を保っていた。その弟子の中には、メンデルスゾーンもいた。

アンリー・ヘルツ
アンリー・ヘルツ(1803-1863)
吊り輪式の指鍛錬器で有名なヘルツはオーストリア出身でパリ音楽院で学び1842-74には教授もしている。1820-45の間は同時代のリスト・タールベルグと肩を並べる名声を持っていた人物である。晩年には兄や弟子とエコール・アウペシャル・ド・ピアノというピアノ音楽院を創設している。

カルル・マリア・フォン・ヴェーバー
ヴェーバー(1786-1826)は、劇場の音楽監督をしていた父に音楽教育を受け、フォイシュケルにピアノを、ミヒャエル・ハイドン(ハイドンの弟)に作曲を習った。オペラ作曲家として有名で、特に「魔弾の射手」は広く知られています。ピアノ曲では「舞踏の勧誘」が有名。




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