パウル・ヒンデミット  組曲 「1922」 Op. 26
Suite 1922, Op. 26
1 行進曲 Marsch

2 シミー Shimmy

3 夜曲 Nachtstuck

4 ボストン  Boston

5 ラグタイム  Ragtime


初期の作風は後期ロマン主義や表現主義の影響が濃厚であったが、1920年代より新即物主義、新古典主義へ移行した。彼はバッハの対位法を好み、対位法技術の高い作品を残している。
 この組曲 「1922」もそうした時期に書かれたもので題名のとおり1922年に作曲されたものである。新即物主義、新古典主義の影響が濃厚で、特にモダン的なもの(アメリカ的なもの)を意識して書かれており、題名からもそれが理解できるであろう。

 ついでに、作曲家が政治的および社会的事件に巻き込まれた例として、ヒンデミット事件を上げておこう。
ヒンデミット事件は、1934年のドイツ楽壇で起こった政治的な作曲家排斥事件と、それに伴ってドイツ一般新聞に掲載されたフルトヴェングラーの新聞投稿のタイトルである。 ドイツは国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)の一党支配下にあり、強制的同一化政策が推し進められつつあった。当時ドイツの新進作曲家であったヒンデミットの交響曲「画家マティス」を同年3月12日にベルリンのフィルハーモニーホールでフルトヴェングラー指揮によって初演された。ヒトラーはヒンデミットの歌劇「その日のニュース」に於いて女声歌手のヌードシーンがあることを快く思っておらず、ヒンデミットに対して厳しい措置を取ることにし、フルトヴェングラーがベルリン国立歌劇場で初演しようとしていた歌劇「画家マティス」は上演禁止を通達された。
 ナチス政府の宣伝相であったヨーゼフ・ゲッベルスはこの事態に対し、断固たる対抗措置を取り、フルトヴェングラーは帝国枢密顧問官を辞任させられ、さらにベルリン・フィル及びベルリン国立歌劇場の監督をも辞任させられた。ベルリン・スポーツ会館では、名指しではないにせよ、「無調の騒音製造者」に対して攻撃的な講演会が行われ、ナチス寄りの新聞は一斉にヒンデミットとフルトヴェングラーを批判した。ヒンデミットは帝室音楽院の顧問を辞し、音楽大学の教授職を休職した上でトルコに渡った。