セルゲイ・ラフマニノフ ピアノ・ソナタ第2番 作品36
Sergeu Rakhmaninov _____ Piano Sonata No. 2, Op. 36
第一楽章 1.Allegro agitato
第二楽章 2.Non allegro 第三楽章 3.Allegro molto
ラフマニノフは1913年にこのソナタを完成させて作曲者自身の演奏により初演を行った。しかし国内の演奏会で今ひとつ評判が芳しくないことを悔やんでおり、渡米したおりに1931年に改訂版を出版した。だが、どちらの版も一長一短の状態であった。初版は冗長で散漫であるし、改訂版は短くすぎて物足りないという次第である。
さて作曲家が改訂をするのは、どういうことなのだろうか。結論からいえば、作曲家自信がその出来具合に満足できない、あるいは聴衆に評価してもらえないからである。歴史的に見ると改訂版で有名なのはブルックナーであろう。彼は初演の評判が良くないと、知人・弟子・評論家等から、長すぎるから縮めるように意見され、ひたすら何百小節を削るのである。それでだめなら次の改訂版も作るという自虐的な状態になる。その結果後の演奏家はどの版で演奏したらいいのか大混乱である。
ラフマニノフの場合も改訂版の出版については同じような経緯であった。長くては駄目、短くても駄目、ではその中間は?まるで買い物を、値切るやり取りの様だが、ホロヴィッツがその試みを行った。ホロヴィッツはラフマニノフの許可を得て初版と改訂版を折衷して演奏したのだ。公平に2で割ったという訳でなく、美味しい所取り的な折衷である。しかし、これは楽譜として出版されている訳ではなく(プライベート版?)としてホロヴィッツの演奏録音があるのみである。
第1楽章 3小節目左手の半音階的な動きの主題が全楽章を支配する。色々な場面で、この主題の扱い方の作曲技法には感服するが、その執拗さには少々怖いものを感じる。ダイナミックな曲で演奏効果は抜群であるが、厚く重ねられた和音にはラフマニノフの憂鬱さが宿っているようで音の扱いに腐心する。
第2楽章 音楽が進むにしたがって、美しい旋律が次々と襲ってくる。たとえば次の箇所であるが、美しいメロディー、それ装飾する美しい前打音、アルトの美しい伴奏、印象的で美しいバスラインのように、美しいものが同時にその場で襲ってくるのである。ある者はメロディーを際立てその他を伴奏に押しやってしまうだろう。またバス音形を上手に歌う者もいるだろう。しかし、総ての音のラインが横に聞こえなくてはならない。
第3楽章 アレグロの部分を分析してみると、第1楽章の最初の部分と瓜二つではないか。譜面づらは異なって見えても音の扱いが同じなのである。もう少し分かりやすく言うと衣装を着替えても中の人間は変わらないのと同じである。一種のヴァリアンテではあるが、ドイツ系作曲家の発展変化の過程を楽しむのと違い、これがラフマニノフの独特な個性である。一つの物事にしつっこく執着する癖は後期のものほど顕著である。